2018.10.13

建築の技術と文化「コルビュジェが考えたこと」

「建築の技術と文化」第2回「コルビュジェが考えたこと」の補足説明です。

静岡理工科大学 理工学部 建築学科

佐藤健司

コルビュジェが考えたこと

Pantheon, Rome, 25 BC

コルビュジェは1924年のエッセイ集「建築をめざして」に収録された「ローマの教訓」で語っている。ローマは、あまりに沢山のものがすし詰めだ、と。良いものも悪いものも無秩序に混在している、と。そんなカオスとも形容できるローマにあって、古代ローマの建物に球(cupola)、円筒(vault, cylinder, drum)、直方体(prism)、角錐(pyramid)、といった純粋な形態を見出して絶賛している。具体的には、パンテオン、コロッセオ、水道橋、ケスティウスのピラミッド、凱旋門、コンスタンチンのバシリカ、カラカラの浴場が例として挙げられている。その上で、ルネサンス以降のローマ建築は虚飾に満ちているとして非難している。サン・ピエトロ寺院については、ミケランジェロの手掛けた中央の集中形式のドーム部分のみを高く評価している。後から手を加えられた部分、細長いバシリカ形式への改変や前面に付加されたファサード、ベルニーニによる広場の列柱も含むと思うが、それらはサン・ピエトロ寺院を台無しにしてしまった、と述べている。ローマ人はレンガとセメントの偉大な建設業者だったが、大理石の使い方は知らなかったのだ、と皮肉を述べている。オリジナルのギリシャ建築は無垢の大理石を積み上げて作られていたのだから。

Lesson of Rome

「ローマの教訓」では、球や円筒、立方体といった純粋立体への強い思い入れと装飾の拒絶とが語られている。純粋形態を飾ることなく、ありのままで表現すべきとの強い信念が感じられる。これは彼が1910年代に画家のアメデエ・オザンファンとともにピュリスム(純粋主義)という絵画の形式を探求していたことに背景がある。瓶や水差し、グラスといった日常的なオブジェクトから表面のテクスチャーは完全に除去され、絵画は平坦な色彩のみに還元される。後のラ・ロッシュ・ジャンヌレ邸やサヴォア邸などの建築作品は、絵画でのピュリスムを立体的に展開したものだと理解されるだろう。

Le Corbusier, Still Life, 1921

純粋立体への思い入れは「建築家各位への覚書」でも顕著である。その覚書は3項目から成る。I.立体(mass)II.(surface)III.平面(plan)である。コルビュジェは述べている:

「立方体(cubes)、円錐(cones)、球(spheres)、円柱(cylinders)、四面体(pyramids)は偉大な形態である。」

「立体と面とは建築を表明する要素である。そして、立体も面もプランによって決定される。」

Le Corbusier: Three reminders to architects

コルビュジェにとっての立体・面・プランの関係は立方体を例にとれば上の図のように示される。底面がプランを示し、側面4面と上面がサーフェス、全体としてマス(量塊・立体)が構成される。そしてマスは純粋形態が美しいし、それを決めるのはプラン(この場合、底面)だ、と述べている。

topology of a cube

上の図は現代のCADにおける立方体の記述のされ方を示したものだ。これはソリッド・モデルと呼ばれる。ソリッドと呼ばれるが、中身の詰まった立方体として記述されているのではない。立方体(直方体)では、2つの頂点(vertex)が稜線(edge)を決定し、4本の稜が面(face)を構成し、6枚の面が立体(bodyあるいはshell)を構成する。メモリのなかのソリッド立方体には、この頂点・稜・面・立体のそれぞれの関係性が記述されている。すべての頂点・稜・面・立体に番号がふられる。そして、ある稜はどの頂点とどの頂点を結んで得られるのか、ある面はどの稜を連結することで得られるのか、立体はどの面の組み合わせで得られるのか、が記述される。この情報を位相(topology)という。これとは別に8個の頂点の座標が記述される。それを幾何(geometry)という。

であるから、世の中のすべての立方体(直方体)は同じ位相を持っている。単に幾何(座標や長さ)が異なるだけである。細長い直方体(柱のようなもの)も板(床のようなもの)も立方体もすべて同じである。CADの中では、このようなものとして直方体は記録される。球や円柱、円錐も同様である。ただし、ドーナツ型はこれらとは異なる。位相が異なるからである。柔らかいゴムのような立方体があるとして、どんなに変形させても穴の空いたドーナツは作れない。コンピュータで完全なる立体を記述するには、この位相・幾何の両方の情報をあわせ持つデータ形式を使わなければならない。さもなければ、一つの立方体は、8個の頂点の座標が与えられたとしても、一意には表現できない。完全なる立体が定義されてはじめて、複数の立体の足し算、引き算、掛け算などの演算が実装される。

現在のCADはこのようなソリッド立体を編集する道具としてできている。設計を進める私たちは日々、多数のソリッド立方体あるいは直方体の空間的な配置をシミュレートしているのである。大きいものも、小さいものも、細長いものも、平たいものも、形はちがっても、大半の建築部材は直方体であり、それらの集合体がひとつの建築物であるのだから。設計とは無数の直方体を(3次元的に)配置することだ。ある直方体は柱であったり、あるものは壁であったり、また、あるものは床であったりする。ときには、建物全体であったり、1枚のガラスの板であることもある。従来、建築の設計は製図版の上で紙に線を引くことでなされていた。しかし、CADの出現によって、メモリ空間上にソリッド立体を配置するかたちに進化した。線を引く設計からオブジェクトを配置する設計へと、設計作業そのものが大きく変化した。

Hindoo Temple

コルビュジェの「覚書」に戻ろう。「II.面」で述べられていることを要約すれば、面に窓や出入り口の穴を開ける場合は、元の立体の純粋性を損なうようなことはしてはいけない、という趣旨であろう。では具体的に、どのような穴の開け方が立体の純粋性を損なうのかと気になる。しかし、ここでは詳しく説明されていない。後で展開されるモジュロールやトラセ・レギュラトゥールといったアイデアを待たなければならないのであろう。

興味深いのは「III.プラン」である。「立体も面もプランによって決定される。」からである。「プラン」という言葉は日本語では「平面」ないし「平面図」と訳されるが、私は「計画」ないし「計画図」の方がふさわしいと思う。ちなみに「立面図」は「エレベーション」であるが、これも「立ち上がり」と言った方が英語のニュアンスに近い。

コルビュジェは「The Plan is the generator. (プランは原動力である)」と述べている。では、いったい何をgenerateする(生み出す)のか? 一般的には、建築設計における平面図の重要性を強調したものと理解されるだろう。しかし、この文脈ではもちろん、プラン=底面であり、それは立体や面を生み出すのである。そして立体や面こそが建築の表現となるのである。立体の外側に立ったとき底面は見えない。見えるのは側面であり立体そのものである。しかし側面や立体は底面から生み出されるのである。では、コルビュジェにとってプランとは何なのか?

Temple at Thebes

Filae Island

「覚書 III.プラン」にも挿絵が添えられている。それらはインドやエジプトの神殿のアクソメ図である。小塔や柱、部屋が一本の軸に沿って整然と配置されている。コルビュジェにとってプランとは「秩序」と同義語である。プラン=計画と読みかえれば、計画=秩序であり、その反対語は無計画=無秩序であろう。その上で「リズム」について何度も言及されている。インドの神殿では、長方形の中心軸にそって大小の塔がリズムをもって配置されている。エジプトの神殿では、1本の軸にそって、列柱の立ち並ぶ空間が、大広間から最奥の小さな部屋に至るまで徐々にスケールダウンしながら連続してゆく。これらがコルビュジェの説く「秩序」であろうか。秩序とはものごとの順序であり、シークエンスであろうか。

プランという言葉で思い出されるのは、通常は、建物内部の部屋の配置(ゾーニング)や廊下や階段の計画(動線計画)であろう。それらの秩序だった作り方の説明があってしかるべきだ。ところが、ここでは建物内部での組織化という意味でのプランについては言及されていない。むしろ、コルビュジェの思索の対象は「都市」に向かっている。都市の秩序・無秩序が主題である。そして、秩序のみが美しいのである。秩序付けられて配置された純粋形体のオブジェクト群こそが都市の理想の姿なのだ、と言わんばかりである。

下の図は1925年のヴォアザン計画。パリ中心部の再開発計画である。パリの旧市街を取り壊し、200mの高さの超高層タワーが整然と立ち並んでいる。高層タワーに密度を集約し、あいた空間は広々としたオープンスペースで、陽光と緑を満喫する。公園のなかに高層タワーが林立する姿が未来のパリである。

Le Corbusier, Plan Voisin, 1925

Le Corbusier, Plan Voisin, 1925

「覚書 I.立体」では、コルビュジェのゴシック建築についての見解も述べられている。

「ゴシック建築は、根本的に、球や円錐、円筒に立脚していない。身廊(nave)だけが単純な形態をしているが、そこで表現されているのは複雑で二次的な幾何学(交叉するアーチ)だ。それゆえに、大聖堂は大変美しいとはいえない。」

Notre Dame at Reims

Notre Dame at Reims, floor plan

参考に、ランス大聖堂の写真と平面図を載せておこう。ランス大聖堂はパリの北東130kmの位置にあるカトリックの大聖堂である。1315世紀にかけて建設された。しばしば厳格な古典主義者と形容されるコルビュジェによって、アーチは二次的な幾何学と評された。ゴシック建築は先端が尖ったアーチ(pointed arch)がデザインの主要なモチーフである。大小さまざまな尖頭アーチを積み上げてゆくことで、天まで届くような塔が形作られる。

Mandelbrot set

Lindenmeier, L-System

このゴシックの手法はフラクタル幾何学に通じるものがある。フラクタル幾何学は無限の拡大・縮小を繰り返す、つまり自己言及の写像の繰り返しにより複雑な形態を作り出す。マンデルブロー写像はその一例である。また、アストリッド・リンデンマイヤーのL-Systemも、単純な生成規則の繰り返しが複雑なシステムを生み出す事例である。リンデンマイヤーのアルゴリズムは、コンピュータ上に複雑な樹木をグラフィックスとして描き出す。ゴシックの大聖堂の内部で林立する柱は、上部に行くほど枝分かれして細くなってゆき、あたかも樹木のようである。古典主義建築が古典的な幾何学に立脚しているのに対し、ゴシック建築の作られ方はフラクタル的であると解釈できる。ヨーロッパの建築の歴史はクラシックとゴシックという相反するベクトルのせめぎあいの歴史として語られる。コルビュジェはコリント様式の柱頭、アーカンサスの葉を模した装飾を拒絶した。この例に典型的であるように、装飾は「自然」を指向する。装飾、ゴシック、自然、フラクタル、・・・つまりコルビュジェによって否定された一切のことについて、さらなる検証と考察が必要になろう。

Maison La Roche, 1923, interior

Le Corbusier, Four compositions

Le Corbusier, Les 5 points d’une Architecture Nouvelle

ここで、コルビュジェの住宅建築について見てみよう。上のスケッチは1923年のラ・ロッシュ邸から1929年のサヴォア邸に至るデザインの変遷を示している。下のスケッチは1926年の「新しい建築の5つの原則」である。5つの原則とは、(1)ピロティ(柱)、(2)自由なプラン、(3)ルーフ・ガーデン、(4)水平連続窓、(5)自由なファサード、である。要約すれば、以下のようになるだろう。石やレンガを積み上げた組積造に変わって鉄筋コンクリートの建物では構造の主体は柱(および梁・床)である。壁は構造体でなく単なる間仕切りとなり、自由なプランを可能にする。組積造での木造の三角状の屋根に代わって、鉄筋コンクリートのフラットルーフは屋上ガーデンとして利用できる。外壁は構造体ではなく、荷重を負担しないカーテンウォールとなったため、組積造での縦長の窓に代わって水平連続窓が可能になる。結果としてファサードは(構造体から)自由である。この「新しい建築の5つの原則」をあまねく表現した住宅が1929年のサヴォア邸である。コルビュジェ全集には以下のように記されている。

「この住宅は、地面の上、風景の真中に置かれたオブジェである」

「立面はそれぞれの側から、光と眺望をもたらす。それは純粋かつ単一の機能である。」

Villa Savoye, Poissy, 1932

Villa Savoye, terrace

地上レベルはピロティと半円形の車寄せで構成される。玄関を入ったのち、スロープでメインの2階レベルへ上がって行く。外部のルーフテラスと視覚的に一体となったリビング。テラスからはさらにスロープで屋上庭園へとつながって行く。

Villa Savoye, ground floor plan

Villa Savoye, first floor plan

サヴォア邸は近代建築の萌芽をうたいあげた記念碑的な住宅とされる。この住宅はパリ郊外のポワッシーの地に建てられた。当時の郊外住宅のユートピアを具象化したものとも理解されるだろう。住人はパリと郊外の家との往き来に自動車を使う。地上階はそのための車寄せであり、自動車の回転半径が建築のプランを決定している。つまり自動車の発明が人々のライフスタイルを変え、建築のあり方を変え、郊外という概念を生み出し、近代の建築設計や都市計画の理論を生んだわけである。その後の都市計画の歴史はモビリティの問題こそが常に中心課題であったことを示している。

Dom-ino house

サヴォワ邸に代表される柱(ピロティ)と床スラブ(板)による箱型の建築は1914年のドミノ・ハウスで構想されていた。ドミノ・ハウスは従来の「住宅のプランから全く解放された<フレーム>としての一つの構造体のシステム」の提案である。この図を現代のわれわれが見ると、何の変哲もない、ごく普通のありふれた構造システムに見える。柱が細いこと、梁が床の厚みのなかに隠されてしまっていること、強いて日本の環境にあてはめると、耐震壁がないこと。それらの差異を除けば、このシステムは今日大量に生産される一般的な建物の構造システムそのものである。しかし、このシステムが生まれた背景を考えなければならない。当時の一般的な建物は組積造の壁と木造の床と屋根を組み合わせて作られていた。鉄筋コンクリートという新しい技術が可能になった時、その新しい技術にふさわしい建築のあり方はどのようなものになるのか。コルビュジェが与えたひとつの解答である。それが数年後に「新しい建築の5原則」に結実する。

以下は、ドミノ・ハウスの4面にファサードを付け加えるスタディである。どのような被膜がふさわしいだろうか?

Dom-ino house, 3d rendering

study of external surfaces

study of a dome over Dom-ino house

さらに、楕円体のドームを被せてみた。皮膜の作り方は様々である。パンテオンのように天窓をあけてみよう。ただし、ドームは構造体を兼ねることになるので、コルビュジェのいう自由なファサード(カーテンウォール)という概念は曖昧になる。前回の授業で、建物の作り方には大別して2つの方法があるのではないかと私見を述べた。一つはプリミティブ・ハットで柱・梁・小屋組による構成である。もう一つが、壁とドームによるシェルターで、垂直の壁が連続してドームに連なり一体化する。前者がギリシャ的、後者がローマ的とも言い換えられる。そしてコルビュジェにより柱(ピロティ)と積層する床という第3の方法が見出された。私がいままで関わった仕事はすべて、この3つの手法のいずれか、あるいは、その組み合わせとして理解できる。そうであるなら、コルビュジェにより否定されたゴシックの手法は第4の手法とでも言えるようなものを作り出す可能性があるのだろうか?

Andrea Palladio, Villa Rotonda, 1591

最後に、サヴォア邸と比較参照されることの多いアンドレア・パラディオのヴィラ・ロトンダに言及しよう。両者とも記念碑的なヴィラ=郊外住宅の傑作とされる。ヴィラ・ロトンダは北イタリア、ヴィツェンツァ郊外に建つ。1565年竣工。後期ルネサンスないしマニエリスム期の建築家として知られるパラディオも、また厳格な古典主義者として知られている。建築史家のコーリン・ロウは「理想的ヴィラの数学」の中でサヴォア邸とロトンダの比較を試みている。しかし、「この2つの住宅の詳細な比較を行うことは容易ではない」として、より初期の作品であるコルビュジェのガルシュの住宅とパラディオのヴィラ・マルコンテンタの構造形式の詳細な分析を行っている。「理想的ヴィラの数学」は伊東豊雄・松永安光両氏による邦訳「マニエリスムと近代建築」に収録されている。

Villa Rotonda, floor plan and section