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TOP >  Lectures >  4. 拡散研究への応用

4. 拡散研究への応用


4.1 拡散方程式と拡散機構

物質中の拡散の測定は, 表面にトレーサ原子(溶質原子)を付着させ, 適当な温度で拡散させた後, その濃度の深さ分布を測定する. この方法は数分から数時間, 時には数日に及ぶ拡散時間の後に, 各トレーサ原子が「どこまで到達したか」を調べることに対応しており, 本来, 「トレーサ原子1個1個がどのような機構で動いているのか」を直接観測しているのではない. 一般に, 物質移動をこのような巨視的立場から定量的議論を行う場合, 拡散係数\(D\)を用い, これが位置に依存しない場合には, \begin{align} \frac{\partial c(\boldsymbol r)}{\partial t} = -D \frac{\partial^2 c(\boldsymbol r)}{\partial x^2} \end{align} となり“拡散方程式”が得られる. これを\(t=0\)のとき表面\(\boldsymbol r=0\)の溶質濃度を\(c_0\)として初期値と境界条件を考慮して解くと, ある時刻tでのトレーサ原子の濃度分布は \begin{align} c({ \boldsymbol r},t) = \frac{c_0}{2\sqrt{ \pi Dt}} exp\left( {-\frac{x^2}{4Dt}} \right) \end{align} すなわち, ガウス分布となる. したがって, 実験から得られるトレーサ原子の深さ分布をガウス関数で解析することにより, 拡散係数Dが得られる. このような研究手法を用いて, これまで多くの物質でトレーサ法による拡散係数Dの実験データが蓄積されている.

4.2 原子の跳躍とメスバウア・スペクトル

ある拡散過程の中にはいくつか異なるジャンプ頻度とジャンプ・ベクトルが含まれている. たとえば, 空孔拡散機構による不純物拡散では5ジャンプ頻度モデルで議論されるように, 原子空孔とプローブ原子との間での結合・解離ジャンプ頻度とベクトルは異なる. このような場合には, 原子空孔のジャンプを考慮して, メスバウア・プローブ原子の自己相関関数を拡散機構モデルに従って理論的に評価するためには, かなり複雑な定式化が必要である[31]. その結果, メスバウア・スペクトルは異なる線幅と強度等を持ついくつかのローレンツ関数の重ねあわせとして表現される. より詳細な理論的取り扱いが必要な読者は文献を参照していただきたい. 以下では議論を簡単にするために, ランダム・ジャンプの場合の定式化のみを紹介し, 線幅増加\(\Delta \Gamma\)とトレーサー拡散係数Dの関係を導くことにする. この場合には, スペクトルは単一のローレンツ関数で表せ, ChudleyとElliott[32]によればジャンプ頻度\(\frac{1}{\tau}\)による線幅増加は, \begin{align} \Delta \Gamma = \frac{2\hbar}{\tau} \left( {1 - \frac{1}{n} \sum^{}_{i} exp \left( {-i{ \boldsymbol k } \cdot { \boldsymbol R } } \right) } \right) \end{align} と書ける. つまり線幅増加は\(\gamma\) 線の波数ベクトル\(\boldsymbol k\) とジャンプ・ベクトル\(\boldsymbol R_i\) との間の角度により変化する. 多結晶試料についてはすべての可能なジャンプ方向について平均することが必要で, \begin{align} \Delta \Gamma = \frac{2 \hbar}{\tau} f_M \end{align} となる. Wolf[33]は自己拡散で第一近接格子位置の原子空孔へのジャンプについて“メスバウア相関因子”\(f_M\) を評価しており, 面心立方と体心立方格子についてそれぞれ0.69と0.64となっている. 一方, Einstein-Smoluchowskiの関係から, トレーサー相関因子\(f_T\) (\(f_T^{fcc}=0.78, f_T^{bcc}=0.73\))として, \begin{align} D = \frac{R^2}{2 \tau } f_T \end{align} 式(5)と(6)から, 線幅増加\(\Delta \Gamma\) と拡散係数Dの関係は, \begin{align} D = \frac{R^2}{6 \tau } \cdot \frac{f_T}{f_M} \cdot \Delta \Gamma \end{align} と得られる. (7)式によりスペクトルの線幅増加\(\Delta \Gamma\) から拡散係数Dを導出するための条件や注意点を挙げておく.
  • 線幅増加が長距離拡散に起因したものであるかを, 局所的ジャンプ過程の可能性も含めて検討を要する.
  • 拡散の機構が空孔拡散または格子間原子拡散と考えて良い系であり, かつランダム・ジャンプと考えられること.
  • 不純物拡散で原子空孔と不純物原子の相関が強い場合は, メスバウア相関因子\(f_M\)を改めて評価しなければならない.
  • 異なるジャンプ過程が共存する場合は, 個々にモデルを構築し, 自己相関関数を評価する必要がある. さらに, トレーサー拡散係数と比較することで, モデルの正当性を検討することが必要である.
  • 線幅増加が観測されるジャンプ頻度であること, すなわち拡散係数が\(10^{-15} \leqq D \leqq 10^{-10} {\rm m^2/s}\)の範囲となる測定温度を選ぶ.
  • 試料は2相であってもよい. 但し, 個々の相のスペクトル成分が十分分離しており, プローブ原子がそれぞれの相の中では, 一種類のサイトを占有すること.
  • 多結晶で特定の結晶方位が試料中に存在する場合, たとえば, 測定中に結晶粒の成長がある場合には, 拡散係数を厳密に決定することは注意を要する.

4.3 高温測定に必要な実験装置と測定技術[9]

メスバウア分光による拡散測定を行うためには,多くの場合,かなりの高温領域での測定が必要となる. 高温1200K以上ではメスバウア効果の起こりやすさの目安であるデバイ・ワーラー因子(f)が室温より約一桁小さく, またスペクトルの吸収面積も小さい. さらに, 拡散測定を行う温度領域では線幅が増加するので, スペクトルを精度良く測定することが非常に困難となる. 試料によっては一つのスペクトルに数日の測定時間が必要で, すべての温度領域の測定が終了するのに数ヶ月を要することもある.従って, 高温メスバウア分光装置の設計は何よりも先ず良いS/N比と安定に長期動作可能なものにすることが不可欠である.

図4.1 高温メスバウア分光装置

図4.1に高温メスバウア分光装置の写真を示す. 分光装置は通常のメスバウア・ドライブ(A)とγ線計測装置(B), 真空チェンバー(C)に組み込まれた電気炉(D), 排気装置(E),そしてドップラ速度較正用測定台(F)から成る. 測定には1.85~3.7 GBqのRh中に熱拡散された強力な57Co線源を利用しているので, 放射線遮蔽には十分な配慮が必要である. そのため, 較正台(F)は線源交換のための放射線遮蔽も兼ねている. また, 鉛遮蔽容器中に固定された重いメスバウア・ドライブを較正台から測定位置に放射線被ばく無しに移動するための移動用装置(G)も備えている.

図4.2 高温メスバウア分光用測定炉とその断面図

【真空チェンバーと排気装置】

図4.2は高温メスバウア分光用測定炉の配置図である. 測定炉は, 鉛遮蔽容器中に固定されたメスバウア・ドライブ(A)と測定炉本体(B), 電流導入端子(C), 熱電対導入端子(D),試料ホルダー用回転フランジ(E), γ線線源(F)と検出器(G),真空ゲージ(H)等の部分から成る. 高温測定炉設計の中心課題を以下に挙げる:(1)14.4keVの低エネルギーγ線の試料部分以外での非メスバウアγ線吸収を小さくする, (2)電気炉からの熱の漏洩が少ないものとする, (3)高計数率を確保するためにγ線線源(F)と検出器(G)との間の距離をできる限り小さく抑えることである. 測定炉(B)の中心部分の断面を図4に示す. 真空チェンバーのγ線窓(a)には高純度の100mm厚のAl箔を利用し, 水冷されたステンレス真空容器にかしめることにより真空を保持している. 電気炉(b)はアルミナのパイプ(内径25mm, 外径32mm, 高さ32mm)にTaの0.5 mmφの線を数十回, 試料位置に磁場が印加されないように巻いている. この炉体を2 mm厚のTa容器(c)中に置き, これを0.5 mm厚の3重のTa熱遮蔽板(d)の中心に固定している. γ線透過部分は2 mm厚のZr箔(e)をTa遮蔽板に固定している. Zr箔は14.4keVのγ線に対してはその吸収端の近傍にあり, 異常透過により吸収が小さく, しかも高温で, 酸素のゲッターとして試料の酸化を防止する役目を果たす. 温度はアルミナの炉体と試料ホルダーに2組のPt-PtRh熱電対(f)を固定して測定し, 熱電対の較正には純鉄のキュリー温度を測定する. 電気炉の電源と温度制御装置は市販のものを利用できる.

排気装置には, 前段にターボ分子ポンプ, さらに測定中はイオンポンプを利用している. これにより, 1200K以上の高温で10-7~10-6Paの真空度を維持でき, 長期に及ぶ測定でも試料の酸化や, ポンプの振動によるスペクトルの線幅増加等の問題が全くない測定が可能となる.

【試料ホルダーとキャプセル】高温で長時間保持し, スペクトル測定を行う際に, 最も困難な点は, 試料の保持方法と, その蒸発を如何に最小限に抑えるかである. 図4.3は通常の実験で利用しているTa製の試料ホルダーである. これを図4.2の電気炉(b)の中心位置に, γ線に対する角度を真空チェンバーの外から変えられるように, 回転導入端子の先端にアルミナ棒を介して固定している.

図4.3 Ta試料ホルダー

図4.4 純鉄の高温メスバウアスペクトル

以下にメスバウア・スペクトルを高温で測定する場合のいくつかの実験技術上の問題点を,BerlinのHahn-Meitner研究所で行ったγ, δ- Feの測定例[34](図4.4)で考えてみる. このデータを用いて, 線幅の増加量から拡散係数を評価できるが, これについては次の節で述べる.

1200K以下の測定では, Ta試料ホルダー(図4.3)からの汚染も大部分の試料では問題ない. そのため, 30mm厚のFe試料と同一材料で小さな短冊を作り, これによりホルダーと試料の直接接触を避けて試料を保持し測定できる. 一方, 1200K以上の高温にすると, TaとFeの間で拡散が生じ, Fe試料を汚染してしまう. さらに, δ- Feは蒸気圧が高く, そのままδ相まで測定温度を上昇させると, 薄膜試料は数分ですべて蒸発してしまう. 一つのスペクトル測定には少なくとも数十分から数時間は必要で, 蒸発を最小限に抑えるために, 試料をキャプセルするための材料が必要となる. もちろん, 14.4keVのγ線は十分透過し, しかもFeと測定中に反応しない材料でなければならない. 以上の厳しい条件を満たすキャプセルとして, BN, Al2O3等はこの場合適当でなく, 1 mm厚BeOが利用された. これは, Taホルダーとの熱膨張係数の違いを利用して, 高温になればなるほど BeOのディスクの密着性が良くなることを利用したものでる.

4.4 多結晶鉄の自己拡散

メスバウア分光により拡散係数が求められた例は, これまでのところそれほど多くない. 以下に最も単純な系と考えられる純鉄中の自己拡散[34]の研究と, 未知の拡散機構の研究例として単結晶βTiFe合金中のFe原子の“高速拡散”の研究[35]とを紹介する. ウィーン大のVogl教授のグループでこれまでに行われた, 単結晶Al[36]やCu[37]中のFe原子の不純物拡散の研究や, 最近精力的に行われている金属間化合物の拡散機構に関する研究[38,39]については文献を参照されたい.

図4.5 γFeとδFeに対する線幅増加
図4.6 線幅増加から求めた拡散係数のアレニウスプロット

図4.4は\(\gamma\) -Feと\(\delta\)-Feの高温メスバウア・スペクトルである. それぞれ図中の各温度で, 約1日の測定を行った. \(\delta\)-Feのスペクトルは\(\gamma\) -Feに比べて, 格段に広がった吸収線となっている. これは\(\delta\)相の自己拡散が約2桁\(\gamma\) 相に比べて早いことを直接反映している. 非常にシャープに見える\(\gamma\) -Feの1623Kでのスペクトルの線幅も実は自然幅より広がっている. 線幅を温度の関数としてプロットしたのが図4.5で, グラフ中には\(\gamma\) 相のスペクトルの線幅を拡大して示している. 観測されるスペクトルの線幅は線源と試料であるFe箔吸収体の和であるので, ここでは吸収体の線幅のみを示している. 測定は結晶粒成長による影響を避けるために, 測定温度は上昇・下降を繰り返し行った. これにより, 同一測定温度では測定期間中常に同じ線幅増加を与えることを確認した. 1183Kから1473Kの温度範囲では\(\Gamma_A^0 = 0.108(8) {\rm mm/s}\)で, この値は自然幅\(\Gamma_0 = 0.097(2) {\rm mm/s}\)にほぼ一致している. そこで線幅増加量は\(\Delta \Gamma = \Gamma_A - \Gamma_A^0\)で得られる. \(\gamma\) -Feと\(\delta\)-Feの自己拡散はアイソトープ効果の測定から共に空孔拡散機構であると考えらるので, 拡散係数\(D\) の評価にはジャンプ距離Rとして第一近接距離を取ってみる. この\(\Delta \Gamma\) を(7)式に代入し, 拡散係数を評価した結果を図4.6に示す. 図の中で直線で示したものが, トレーサー実験の結果であり, メスバウア・スペクトルの線幅増加\(\Delta \Gamma\)から得られた結果と良い一致が得られている.

メスバウア分光による拡散の研究は, 単結晶試料が得られた時に, ジャンプ頻度とジャンプ・ベクトルに関する情報が同時に得られる点に非常に大きな特長がある.実際に, 単結晶Al[36]やCu[37]中の不純物Fe原子の拡散やFeAlやFe3Si[38]の金属間化合物を高温で直接測定し, モデルとの比較からジャンプ頻度とジャンプ・ベクトルが得られている. これらの系は空孔拡散機構と考えれば, メスバウア分光から得られる“拡散係数”とトレーサー実験から得られる拡散係数は良い一致が得られている.

4.5 高速拡散

図4.7 βTi中のFeメスバウアスペクトルの角度依存

金属や半導体中の金属不純物拡散で自己拡散よりも数桁も速く拡散する現象, いわゆる“高速拡散”がPb, Sn, In, Zr, Ti等の多価金属, Na, K等のアルカリ金属, Si, Ge等, 半導体で知られている. この現象は何らかの格子間原子が関与する拡散と考えられているが, 実験で直接高速拡散する原子を捉えた例はこれまでに無かった.多結晶\(\beta\)ZrFe合金中のFeの拡散もこの高速拡散であると考えられており,吉田らは上に述べた超高真空高温測定装置で高温\(\beta\)相のメスバウアスペクトル[16]の測定に成功した. しかしながら,得られたスペクトルの線幅増加から計算した“拡散係数”を同じ試料で行われたトレーサー実験の結果[40]と比べると, “メスバウア拡散係数”はトレーサー実験の結果より一桁高くなることが判明した. このような両者の矛盾は空孔拡散が期待できる金属・合金ではこれまでに見出されておらず, 高速拡散における原子のジャンプ過程が空孔拡散とは異なるために, 先に述べた線幅増加量\(\Delta \Gamma\)から拡散係数\(D\)を求める(7)式の方法は高速拡散では成立しないことを意味している. この問題を解決するために, ジャンプ頻度のみならず, ジャンプ・ベクトルを同時に決定することが可能な単結晶による高温\(\beta\)相での実験が望まれるが, 高温相で直接結晶方位の明らかな単結晶を得ることは極めて困難である.

図4.7は単結晶\(\beta\)Ti-13原子%Fe合金のスペクトル[35]で, 1298Kにおける\(\gamma\) 線に対する角度依存である. このスペクトルを解析するためには少なくとも2成分が必要で,異なるジャンプ・ベクトルを含むモデルを構築して, この角度変化を再現する拡散機構が検討された. 結晶方位が明らかではないので, さらに実験が必要である. 結晶方位と\(\gamma\) 線の角度を変えれば線幅が大きく変化することは理論式(4)から予想されるが, 実験的にも実際に図4.7から明らかであろう.