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研究コラム

流体という場で生命を捉える


機械工学科
牧野育代 教授

米Stanford大学のマーク・デニー教授(生物学)は、著書「Air and Water」の冒頭で次のように述べています。

「ある生き物を包み込んでいる媒体がその生き物の生きる仕組みに影響を与えるというのは、生物学者にとっては当たり前のことである」。

牧野育代教授は生物学の出身ではありません。流体力学が主要な専門です。ですがテーマを求めて環境の分野で研究をしていると、ある興味深いアプローチにたどり着きました。それは、空気や水といった流体の制約を受けるなかで営まれる生物の活動を観察し、その生態を解明するアプローチです。

鉛直移動を諦めたアオコ

今、牧野教授が研究対象にしているのはアオコです。夏に諏訪湖や霞ヶ浦を訪れると緑色の粉がまかれたかと思うほど藻類が水面を覆うように増殖している様子を目にすることがあります。これがアオコです。

アオコが発生するといくつもの不都合が生じます。湖沼の景観が悪くなったり、カビ臭に似た異臭がしたりというだけではありません。飲料水源の湖沼にアオコがあると浄水処理の効率が下がってしまいます。昼間、水面が覆われることで水中に光が届かず他の水生植物が死滅する可能性がありますし、夜間、水中の酸素が大量に消費されることで魚類などが酸欠で死滅する可能性もあります。また、アオコを構成する藍藻(シアノバクテリア)のなかには毒素を出すものがあり、海外ではその水を飲んだ家畜、水源として利用したヒトが死んでいます。アオコは多くのダム貯水池でも発生していて、ダムの利活用にとっても大きな問題なのです。

シアノバクテリアは光合成能力を持った細菌です。その中でも特に、ミクロキスティス(Microcystis)という1~4μm 程度の単細胞シアノバクテリアが典型的な「アオコの元」です。

ミクロキスティスは体内に気泡を持ち、本来であればこの浮力を利用して夜明け前に水面に浮上し、午後には沈み始めます。日周期で鉛直移動をして生活の場を変えているわけですが、これは生命維持のためには理にかなっています。太陽の出る時間には光合成に有利な水面に移動し、太陽のない時間は水中に移動して乾燥を避けるとともに水面付近で不足する窒素やリンなどの栄養塩を獲得できるからです。

ところがアオコの状態になるとこの鉛直移動に制限がかかります。ミクロキスティスは多糖類を分泌しますので、この粘液をまとったミクロキスティスは凝集し群体を形成します。群体が小さいうちはいいのですが、異常繁殖(アオコ化)により群体が大きくなると沈みにくくなります。生命維持に重要な意味を持つ鉛直移動がしにくくなるのです。

「水面に居続けることはミクロキスティスの生命維持にとって不利なはず。それなのに繁殖は止まらない。常に水面にいることでミクロキスティスは何を得ようとしているのだろうか」。牧野教授の探究心に火が付きました。

鉛直移動から集積へ

牧野教授が注目したのは集積です。水面は多くの生物が集まってきやすい場です。その集積場にはおよそ1800種類の生物の遺伝子が含まれていました。そうした生物が大きくなったアオコの群体に絡み取られて、ミクロキスティスのすぐ横にとどまる状況が考えられます。

「もしかしたら・・・」

牧野教授はアオコ場が遺伝子の変化しやすい環境場になったことを疑いました。自然界において遺伝子変化は普通に起き得ることです。別の生物のDNAが近くにあれば、その一部を取り込み新たな機能を獲得することもあります。新たな遺伝子から生まれた生物が環境に適合して世代を重ねることができれば、それは「進化」と呼ばれます。

「進化の促進が起きているのではないか」

さっそく牧野准教授は遺伝子解析を試みました。するとアオコ化したミクロキスティスにDNA組み換えが起こっている可能性が浮かび上がってきたのです。

進化かどうかはさらに注意深く検証する必要がありますが、アオコが越冬することは確認されています。「自身が分泌した粘度の高い糖質によって活動に制約が生まれた。その制約によりスケールの大きな縦の移動(鉛直移動)はなくなり、スケールの小さな横の移動(遺伝子の水平伝播)が起きた。つまり、アオコ場は進化を促進するためのステージなのではないか」。これが、牧野准教授が今、最も疑い、そしてわくわくしている仮説なのです。

多くの生物は流体の中にいる

流体の性質が生物に影響を与えることはいろいろ考えられます。アオコでは粘度がそのひとつでした。牧野教授はプランクトンの異常増殖で起きる赤潮や青潮についてもその集積の様子から進化促進の場として捉えられると考えています。そこには粘度+αの物理化学的な原則がありそうだとも推測しています。

粘度以外の性質についてはどうでしょう。例えば水深の深い水域では水中に大規模流体が発生しますから、それが生物のあらゆる活動に影響を与えているかもしれません。

考えてみれば多くの生物は水中にいるか地上にいるかのどちらかで、いずれも流体の中で暮らしているわけです。流体の影響を受けないはずはありません。

「流体場という環境のなかで生物を捉える。そうすることで生物をより理解できるようになるといいなと思っています」。

研究者プロフィール

牧野育代 教授
機械工学科

1998年 芝浦工業大学 工学部 機械工学科卒業
1998年 有限会社ロテック(環境コンサルタント業務に従事)
2001年 日本学術振興会特別研究員(DC2)(東京工業大学)
2008年 博士(工学)取得(京都大学)
2008年 東北大学 環境保全センター 助教
2016年 東北大学 環境・安全推進センター 室長兼助教
2020年 現職

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