音の可能性を突き詰める

武岡成人 講師 理工学部 電気電子工学科

「それでは、後ろの壁を背にして立ってください」。研究室内に造られた防音の音響実験室内でシステムの調整をしていた武岡成人講師は、取材スタッフにこんな指示を出しました。武岡氏の横には、三脚にマウントされた大型のプリント基板があり、そこにはパーツが蜂の巣のようにびっしりと並べられています。

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理工学部 電気電子工学科 武岡成人 講師

するとそのプリント基板から音楽が聞こえてきました。武岡氏の指示に従って体を左右に動かすと、ある位置から急に音が小さくなります。音楽はまるでスポットライトのように、数十cm四方の範囲だけに届いていました。

さらに、聞いている人間は移動せず、プリント基板の位置も動かさないのに、武岡講師が何か操作をすると音楽の聞こえる範囲が動いていきます。「1度以下の精度で指向性を自由に操作できます」(武岡講師)。

これは、「パラメトリックスピーカー」と呼ばれる技術で、空気中で聞く音源としては米山正秀氏(当時リコー,のち東洋大学教授)らによって日本で最初に実現したものです。人間の耳に聞こえない40kHzの超音波を音楽など可聴域の音波で変調して、強い音圧で放射すると、超音波が進む際に空気中で歪みが生じ、変調されていた音波が自然に復調されて聞こえるようになるというもの。直進方向だけ音が強め合うことから、可聴音でありながら超音波並みに鋭い指向性が実現します。日本でも商品化されていて、博物館など一部の施設で実際に使われています。

蜂の巣のように見えるのは、小型の超音波スピーカー(トランスデューサー)を並べた「スピーカーアレイ」です。

「パラメトリックスピーカーはこのような直径1cm程度の超音波素子を並べて作る方法が主流なのですが、通常は単にオーディオアンプで駆動するので全て同じ信号で駆動します。本研究室では高速1bit信号処理という手法を用いて、小規模な回路でありながら何百という数の超音波素子の個別制御を実現しています。これによって例えばパレメトリックスピーカーの音ビームを上下左右の自由な方向に出力することができます」(武岡講師)。

デモに用いられたプリント基板には、縦24列、横24列、計576個のトランスデューサーが並んでいました。武岡研究室では、デジタルオーディオ技術を用いてスピーカーアレイの個々のトランスデューサーを個別に制御し、さまざまな実験を進めています。遅延時間を変えることで、上下左右に音の向きを変えることも可能になりました。左右の耳の位置にそれぞれ左チャンネルと右チャンネルの音を送り、まるでヘッドホンをつけているようにステレオサウンドが聞けるというマジックのような伝送にも挑戦しています。

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真の音場再現を目指す

武岡研究室のテーマは「音響」。デジタルオーディオ技術を利用して、これまでにない音空間を作り出す試みを進めています。パラメトリックスピーカーとともに大きな研究テーマが音場の再現です。

コンサートホールやライブ会場に聴きに行くと、楽器の音、聴衆のざわめき、ホールの残響などが、あらゆる方向から押し寄せ、音に包まれます。素晴らしい音質で聞ける高級なオーディオシステムはありますが、実は音の方向も含めて再現しているわけではありません。

「スピーカー技術そのものは発明されてから約100年経ち、非常に洗練されています。ただし、ステレオや5.1チャンネルなどいくつかの個所に設置したスピーカーから音が広がっているという形は変わっておらず、本来の物理現象である、あらゆる方向から波が到来する“音場”を再現するには限界があります。これを解決するにはまったく新しい再生方法が必要です」と武岡講師は強調しています。

実は、音場を再現するためには、音の「波面」を再現すればよいことは古くから理論的に分かっていました。例えばコンサートホールにリスナー1人を取り囲む立方体を置き、マイクをびっしり取り付けて収録し、同じ位置のスピーカーから収録した音を流すことができれば、原理的には立方体の内部にいるリスナーは、ホールと同じ音場を体験することができます。

ただし、そのためには、最も高い音の波長の半分以下の間隔でマイクやスピーカーを敷き詰めることが必要です。15kHzを上限とすると、1cm間隔で並べなければなりません。1m四方の面1つだけで1万個のマイク、スピーカー、アンプ、レコーダーが必要になるため、実現は事実上不可能とされてきました。

しかし、デジタルオーディオ技術の進展によって、実現が夢でなくなりつつあります。武岡講師が進めているのが、高級オーディオにも使われている「ΔΣ(デルタ・シグマ)変調」の技術を用いた「超多チャンネルスピーカーアレイ」です。

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マイクアレイにより波面を収録できる

ΔΣ変調はアナログ信号からデジタル信号への変換(量子化)を高精度かつ安定的に実現する手法で、東京大学の大学院生だった安田靖彦氏(東京大学名誉教授)が1961年に発表した日本発の技術です。

このΔΣ変調を応用して、歪みが少なくダイナミックレンジが広いオーディオ再生を可能にしたのが、1ビットオーディオです。武岡氏らは、ΔΣ変調による1ビット信号処理の特性を発展させて、超多チャンネル化の実現を目指しています。

例えば100列×100列のスピーカーアレイでスピーカーを個別駆動する場合、通常なら各スピーカーに2本ずつ、計2万本もの配線が必要です。しかし、武岡講師ら本学の研究グループは、「多入力型ΔΣ変調」と「乗算出力」という手法を使うことで、縦の列と横の列で信号線を共通化し、わずか200本の配線で1万個のスピーカーの個別制御を可能にしました。音場再現を実現する独創的な研究成果として注目を集めつつあります。

研究室では超多チャンネルスピーカーアレイの実現手段として、コンデンサースピーカーの活用も検討しています。コンデンサースピーカーはごく薄い振動板を電極板の近くに置き、高電圧をかけることで振動させる仕組みです。

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少ない配線数で個別に音を出力可能

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コンデンサースピーカー

振動板は大きな1枚のままでも、電極を分割すると、複数のスピーカーとして別の音を出せるので、武岡講師が進める音場再現には好都合です。しかもコンデンサースピーカーは、高電圧をかけた状態で振動を与えると、マイクとして機能するので、音場の収録にも利用できます。音場の集録・再生とは逆に、立方体の内側に演奏者を入れ、マイクを内側に向けて演奏を収録すれば、名器とされる楽器や名演奏家の演奏、貴重な古楽器の作り出す音を、生演奏そのままに記録できるかもしれません。

武岡講師は、「音場再現技術は、存在感や雰囲気などを何が伝えているかといった研究にも活用できそうです。また、より実在感のあるテレビ会議などAR(拡張現実)の高度化にも役立つ可能性があります。我々のこれまでの研究で、要素技術は“いい線”まで到達したと思いますので、今後、実用化に向け、さまざまな研究を進めていきたいと考えています」と抱負を語っていました。

研究者プロフィール

武岡成人 講師
理工学部 電気電子工学科
2002年 早稲田大学 理工学部 電気電子情報工学科卒
2004年 早稲田大学大学院 国際情報通信研究科 修士課程修了
2006年 同 博士課程修了
2007年 株式会社ダイマジック 技術部
2008年 早稲田大学 理工学術院表現工学科 助手
2011年 現職
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